都区制度とは?問題点や財政制度について。大阪都構想による特別区制度はなぜ必要?本当の目的は?

2020.09.26
  • 東京都は戦前に都区制度が導入された
  • 東京23区は長らく「内部的団体」とみなされ、2000年まで地方自治体扱いされなかった
  • 都区制度では都に権限や財源が集中していたので、2000年に制度改正がなされた
  • 大阪都構想では、都区制度の是非も争点となっている
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大阪都構想を考えるうえで、先行して都区制度を実施している東京都の例を見ることはとても重要です。都区制度とはどのようなもので、どんな問題点があるのでしょうか?また、都区制度独特の財政制度とはどのようなものなのでしょうか。それを踏まえることで、大阪都構想で都区制度を必要とする理由が見えてくるのではないでしょうか。

東京で実施されている都区制度とは?

現在、日本で都区制度を導入しているのは東京都だけです。都区制度とはいったいどのような制度なのでしょうか?

東京都の地域区分と行政区分

東京都は、人口が集中している東京都区部と東京都西部の多摩地域、大島・三宅島などの島しょ部の3地域からなります。

かつて存在していた東京市を中心とする東京都区部は人口が極度に集中する特殊な地域で、都区部には23の特別区が設置されます。一方、多摩地域や島しょ部は一般的な市町村制度が適用されました。

東京都と23特別区の役割分担

東京都区部は東京都全体の人口の3分の2を占める東京都の心臓部です。現在、東京都区部には23の特別区があります。

東京都と特別区は役割分担をしています。大都市として行政の一体化や統一性を確保する必要がある広域行政は東京都が担当します。それに対し、地域住民に対して行政サービスを提供するのが23の特別区の役割とされました。

都が担当する広域行政の例として、上下水道の整備・管理や消防に関する事務、都市計画の決定などがあります。また、特別区間で調整が必要な事柄も東京都が受け持つことがあります。

東京で導入された都区制度

東京で都区制度が導入されたのは意外と新しく、1943年のことです。それまでは、大阪と同じく東京府と東京市が併存していました。いったい、なぜ東京市が廃止され都区制度に移行したのでしょうか。

東京市の拡大と東京市の廃止

1889年、この年に制定された市制・町村制にもとづき、東京府の中に東京市がつくられました。東京市は東京都心部の15区から成り立ちます。

日露戦争後、日本では工業化が大幅に進展し、それによって東京は拡大の一途をたどりました。大正時代になると、「大東京」とよばれるほど大きな街になります。「大東京は現在の東京23区の領域とほぼ一致します。

1943年7月1日、東京府と東京市は廃止となり、新たに東京都が設置されました。第二次世界大戦中の日本で、東京都制に移行した理由は、戦争遂行にあたって東京の二重行政を廃止し、行政効率をアップさせることでした。

戦後の都区制度の歩み

第二次世界大戦後の1946年、他の制度とともに東京都制も改正されます。この改正で、各区の区長が選挙で選ばれるようになるなど、区の自治権が強化されました。しかし、1952年の地方自治法改正で特別区は地方自治体とは異なる「内部的な団体」と位置づけられました。

それゆえ、区長の公選なども廃止されてしまうのです。東京が巨大化し、東京都の一元管理が難しくなる中、東京都は特別区に権限を移し始めます。こういった動きの中で、1975年に区長の公選制が復活しました。

2000年に実施された地方分権改革により、特別区は「基礎的な地方公共団体」と位置づけられ、ようやく「自治体」とみなされるようなります。

特別区の財源と財政調整制度

特別区の主な財源は特別区の住民が支払う特別区税と地方消費税交付金です。通常の市町村であれば、それに法人分の市町村民税や固定資産税、特別土地保有税などが加わります。

しかし、特別区の場合、法人分の市町村民税や固定資産税、特別土地保有税は特別区に全額はいることはありません。これらの税金は特別区ではなく東京都がかわりに徴収しているのです。

そして、それらの税は東京都と特別区が折半しているのです。しかも、23の特別区の間で行政サービスにばらつきが出ないよう、調整されます。この仕組みを「財政調整制度」というのです。

東京都で実施された都区制度改革

2000年、東京の都区制度は大きな制度改革を行いました。改革の主な内容は3つです。まず一つ目が特別区の法的な位置づけです。これまで、内部的団体とされてきた特別区は、この制度改正で基礎的な地方公共団体と認められます。

二つ目は、役割分担の見直しです。これまで、幅広い範囲で東京都が担っていた役割のうち、市民サービスに密接にかかわるものは特別区に移行させました。都の役割を従来より縮小させたのです。具体的には清掃事業や教育事務などが特別区に移されました。

三つ目は財政面の見直しです。都と特別区の役割分担に応じて財源を配分すると定めました。これらの改革により、特別区の主体性が高まることが期待されたのです。

都区制度が抱える問題点

大阪に先行して都区制度を導入してきた東京都では、行政上の問題が発生しています。2000年に大規模な制度改正が行われましたが、その後も積み残された課題があります。課題の代表例を2つ紹介します。

東京都と特別区の財源をめぐる争い

2000年に実施された都区制度改革により、清掃事業や教育事務などが東京都から特別区に移行しました。しかし、最も大事な財源では歩み寄ることができず、継続審議となってしまいます。

まず、どこまでを清掃管理費用と考えるかという点について両者が対立しました。次いで、増え続ける小中学校の経費をどうとらえるか、都市計画交付金をどうするかなど、権限とお金のバランスについて意見が対立したのです。

何度も話し合いが持たれましたが、結局は解決することができませんでした。とりあえず、特別区財政調整交付金の配分割合を東京都が45%、特別区が55%として、特別区の割合を引き上げます

住民サービスは置いてきぼり

東京の特別区は、少しでも多くの権限や財源を確保し「自治」の割合を増やそうとしてきました。その行動により、特別区の自治権は以前よりも拡大したといえるでしょう。

しかし、東京都と特別区の話し合いや制度改正は、住民サービスの向上という点においてほとんど寄与していません。東京都は「行政の一体化」を主張し、特別区は「自治権拡大」を主張して衝突しましたが、肝心の区民にとってはあまり変化がなかったというわけです。

大阪で都区制度が必要とされる理由とは?

2010年に橋下徹氏は。地域政党「大阪維新の会」を発足させました。この政党の行政構想として「大阪都構想」が掲げられます。どうして、大阪で都区制度を導入しようと考えているのでしょうか。その理由について整理します。

二重行政を解消したいから

大阪府の面積は1,905平方キロメートルです。これは、日本で最も面積が小さい香川県に次ぐもので、大阪府は日本で二番目に小さい都道府県です。大阪市は大阪府の中で見ると、それなりに大きな面積を占めています。

大阪府が広い範囲の行政を行おうとすれば、どうしても大阪市と協議が必要となるのです。しかし、大阪府と大阪市は常に仲良く共存してきたわけではありません。大阪市は都道府県並みの権限を持つ政令指定都市なので、大阪府と同じことができるからです。

その結果、似た機能の建物が数多く建設されることが起きました。大阪維新の会は「府市あわせ(不幸せ)」とよんで、大阪府と大阪市の二重行政を批判します。

ただし、大阪維新の会が主張する二重行政は主にハコモノを中心としたものであり、福祉サービスや就労支援などの部分にはあまり触れていないのが実情です。

より小規模な自治体である特別区によって地域の実情に即した行政サービスを実現したいから

大阪市の人口は260万人を越えます。これは、京都府全体の人口にも匹敵する大規模なものです。規模が大きすぎることによって、地域住民に対するサービスが行き届いていないのではないかと大阪維新の会は主張しました。

大阪都構想では大阪市を4つの特別区に分割します。それぞれが人口70万人前後になるように区割りし、行政効率をアップさせるのが狙いです。

特別区設置によって職員の数が今までより増えることが想定されてランニングコストがかかることだけでなく、狙い通りに行政効率がアップするのか、疑問が生じる点も見られます。

大阪大都市圏にまたがるインフラ整備を円滑に行いたいから

都構想推進派が考える、都構想が必要とされるもう一つの理由として、広域にわたるインフラ整備を円滑に行いたいということがあります。

例えば、東京都の場合、広域行政は東京都に権限があります。そのため、中央環状線や東京外郭環状線などの大都市整備が東京都の主導によって行われました。

それに対し、大阪では大阪府がインフラを整備しようとしても大阪市との協議が必要となります。互いに互角の権限を持つため、話し合いがなかなか進まないケースが出てきます。

都構想を導入することで行政の一体化を進め、インフラ整備に代表される広域行政を円滑に行いたいというのが大阪維新の会の主張といってよいでしょう。

二重行政を未然に防ぐには府と市の間で事前調整の徹底が求められますが、同じ政治団体に属する吉村知事と松井市長でその調整は容易に行えるため、わざわざ都構想をぶち上げる必要はあるのか、疑問が残ります。

大阪都構想における都区制度のデメリットとは?

大阪都構想を推進する大阪維新の会は、都区制度のメリットを主張しました。それに対し、反対派は都区制度には重大な問題点があると考えています。都区制度の抱える問題点について整理しましょう。

4つの特別区は大きすぎる

大阪都構想が実現すると、260万人の大阪市が分割され70万人前後の特別区が4つできます。70万人前後の特別区は、人口規模が大きすぎるとする意見があります

例えば、大阪府内の政令指定都市の堺市は人口84万人、それに次ぐ中核市の東大阪市は49万人、同じく中核市の枚方市と豊中市は40万人です。これらと比べると、4つの特別区は決して小さな自治体ではありません。

大きすぎる大阪市を分割して行政効率をアップさせるにしては、分割しきれていないということです。

仕事のわりに自主財源が少ない

もう一つの問題点は財源が少ないことです。4つの特別区に移行したとしても、市民サービスやそれに伴う仕事量が減少するわけではありません。人口規模から考えても、中核市並みの行政事務があるはずです。

しかし、東京都の例にある通り、特別区になるとこれまで大阪市が持っていた財源のうち、広域行政に使うとみなされるものは大阪府に移管されます。「財政調整交付金」を大阪府が特別区に分け与えることでようやっと特別区の財政が成り立つのです。

つまり、大阪市の時代に持っている自主財源の少なくない部分が大阪府に奪われ、大阪府の再配分次第で特別区の行政サービスの質や量が決定するようなってしまうという懸念があるのです。

都区制度を導入する本当の目的とは?

大阪都構想は、二重行政の解消や行政サービスの充実が目的とされています。しかし、本当のところは大阪市の財源や財産を大阪府が吸収することが目的ではないかという指摘があります。

というのも、大阪都構想が実現すると、これまで大阪市が単独で保有していた基金などの一部は大阪府に移管されるからです。これにより、大阪府の財政は改善します。そのことを踏まえ、大阪都構想は大阪市の財産を大阪府が吸収合併することこそ目的だとする主張がうまれたのです。

この件に関し、大阪維新の会と大阪都構想反対派の意見は全くかみ合いません。どちらの主張を是とするかは、住民投票の権利を持つ大阪市民の判断にゆだねられるのです。

まとめ

東京で都区制度が導入されたのは、戦時体制の一環として行政効率を上げる必要があったからです。第二次世界大戦後、都区制度は存続しますが、特別区は「内部的な団体」とされ、純粋な地方自治体とみなされない期間が続きます。

2000年に都区制度が改正されることで、特別区はようやく地方自治体として認められました。この時、権限や財源が特別区に移されますが、その線引きをめぐって東京都と特別区が対立します。

大阪都構想において、都区制度が良いとするか、悪いとするかは意見が分かれているポイントです。都構想賛成派と反対派の主張は真っ向から対立しており、どちらが正しいかは有権者の判断にゆだねられるでしょう。